放送大学をやってる労務者の日記

放送大学の科目履修生からはじめてついに全科履修生になった労務者の記録です

室町時代の政治史 メモ

後醍醐天皇の旧領回復令
鎌倉幕府が滅びるとき以前の状態に土地を戻す
土地の所有権を保証するのは天皇後醍醐天皇)一人にする→綸旨(りんじ)という文書で決めることにした→将軍を絶対に認めない

 

鎌倉幕府の権力の根幹は土地の権利保証だった
後醍醐天皇はこれを否定した


結果、たくさんの人が土地の権利保証をしてもらおうとして京都に押し寄せてくる→後醍醐天皇のキャパオーバー→待ち列が長くなり不評、建武政権への不満→地方武士の反乱

 

北条時行中先代の乱(1333年)で鎌倉を占領
京都にいた足利尊が鎌倉を攻めようとする→鎌倉で責任者をやってた直義を救おうとする
→ともに戦争をやる武士の土地の権利保証を尊氏がやることを後醍醐天皇に許可してもらいたいが拒否される→尊氏、許可がないまま京都を出発、武士たちに土地の権利保証を勝手にやる→中先代の乱を鎮圧した
これは結果的に建武政権の権力基盤の根幹を否定している

 

朝廷は新田義貞を派遣、尊氏討伐
だが尊氏は後醍醐天皇に反乱しようと思っていたわけではない、新田義貞と箱根で戦って勝つ

 

尊氏、京都に行く
皇統が2つあった
片方を討伐せよという持妙院統の院宣をもらった→朝敵ではなくなった→京都で幕府を開く
光明天皇
後醍醐天皇は滅ばず
南北朝時代

 

室町幕府初期の二頭制
尊氏 軍事ー全国の武士を家来としてまとめあげる
直義 政治ー統治権的な支配権
→だんだん不安定になり権力争いが起きる→1349年、日本を二分して戦うことになる

 

 

将軍とは何か?
将軍の権力とは、
主従制的な支配権と統治的な支配権
軍事と政治
軍人による政治が将軍の幕府、軍事が主導

 

 

1358年に尊氏が死去するまで直義派、南朝と戦い続け、
なんとなく日本全国をまとめあげる勢力になっていった

 

3代将軍義満は公家として昇進していく→上皇天皇を超える権力となる
日明貿易日本国王を名乗る)

 

当時の京都は経済の都だった
侍所(幕府)が検非違使庁(朝廷)から京都の権力を取っていく、最後は課税権(1392年)

応仁の乱足利義満のころの勢力争いの再現と考えられる

 

足軽には女性もいたらしい

 

もはや権威の時代ではなく実力の時代→室町幕府は終わり、実力が物を言う戦国時代が始まる