放送大学をやってる労務者の日記

放送大学の科目履修生からはじめてついに全科履修生になった労務者の記録です

日本の古代中世を放送大学で学んで思ったこと

「日本の古代中世」を受講したものの、通信指導を提出しなかったせいで今学期は試験を受けられなかった。来学期はテキストで参考文献に指定してある本を読んでいきたい。そのときに考えたいこと、調べたいことを思い出すために、現時点での講義の感想をざっと書いておきたい。

中央集権国家と税

高校日本史のメインコンテンツみたいな扱いだった政治史はようするに、どうやって一箇所に権力を集めてできるだけ広い範囲から税というリソースを取るか、というゲームの歴史だと思う。これはごく一部の人々の生き残りの物語だ。ほんとうに、古代から人々の関心はそれだけだったのかよ、と思うほど一貫している。これは現代も同じか?

いつの時代も権力はすごい

この授業の楽しいところは、テキストでは詳しく扱っていない史跡や史料を動画の授業の方ではふんだんに見せてくれるところ。とくに律令国家で置かれた太宰府の規模は圧巻だった。これほど規模の大きい政庁が当時の九州にあったとは全く知らなかった。また、朝鮮からの侵攻に備えて作られたという水城はどこまでも続いていて現在の地形のもとになっているのが見えて、いつか行ってみたいと思った。

国家のLegitimacyが承認されているのは当然の事態ではない

そういえば、天下統一されるまでは日本では内戦が起こりまくっていたのだとあらためて認識した。とくに8世紀末の日本では桓武天皇蝦夷との戦争に莫大なリソースを使っていたことはよく知らなかった。日本は歴史上、天皇がいて、その下に民がいて、という単純な構成ではまったくない。
法の支配にもとづく国家が成立するまで、中央と地方の支配者と、その他大勢の人々(納税者、労働者、生産者)との関係は、純粋に暴力に基づく支配・被支配の関係だったかといえばそうでもなさそうだ。暴力装置をもつ武士団と、一定の自治構造を持つ農村との関係は、戦国時代では持ちつ持たれつだったようにも見える。これは西欧的な社会契約学説で説明できる関係なのだろうか。


中国行きの商船は重要な交通手段

遣唐使派遣をやめてから宋、元、明へ日本人は中国の商船に乗って行っていた。商業ドリブンで文化、技術の移転が起こることについて考える。


貿易はもうかる

これは平安時代ぐらいから一貫していて、アクセスの限られている中国や朝鮮からの財(唐物)への先行アクセスを持って、財の流れをコントロールできると、めちゃくちゃもうかるらしい。(平清盛と大和田泊、大内義弘の周防)

権力機構づくりは街づくり

首都を移転しまくることの理由について考える。